1月2日といえば、書き初めの“宿題”をやっていたイメージである。
高校生のときはさすがに書き初めの宿題は無かったと記憶しているが、小学〜中学生の時分は学校から持って帰ったガビガビの習字セットと細長い半紙を、茶の間に広げて文字を書いていた気がする。
習字は得意では無かったが、好きであった。
「心を無にして…」とか、「墨を通しての表現が…」みたいな高尚な理由ではない。
ただの所信表明を、細長い半紙に仰々しく書く行為がたまらなく好きだったのだ。(「はるの光」とか「新しい朝」とか訳わからんものもアルケドネ…)

人一倍、優柔不断なボクは、普段「コレをやります!」「やりたいです!」と宣言することはマズない。
以前のブログでも書いているように、特にココ最近は、自分が何をやりたいのかがモヤに包まれているような男である。
そんな奴が2度書き禁止の極限状態で、デカデカと4文字くらいの所信表明を行うのである。
それは、「新年1月2日から変わっちゃったもんね」と自分自身に対してアピールするような爽快さがあるのだ。(ところがどっこい、三が日や松の内が終わる頃に何も変わっていないことを知るのも例年のことである)
===
さて今回は、ある意味で書き初め的な記事だ。
細長い半紙は目の前に無いが、おあつらえ向きにも、今触っているスマホの画面が縦に細長い。
このデジタル半紙に、思いの丈をぶつけるぜ!
好きな物を好きと言う
これです。
より書き初めっぽく表現するならば「好物好言」。
(もちろん、こんな四字熟語は存在しないし、中国語もナイヨ)
多くの人にとっちゃ、何のこっちゃである。
でも、ボクのような人間には耐え難いくらいに難しいことである。
ボクはいわゆる日本のフォークソングが好きで、特にフォークルや吉田拓郎に多大な感銘を受けてきた。
とはいえボクは昨年30歳になったばかりの若造。
フォークルや吉田拓郎がガチガチに曲を出していたときには、まだボクは産まれてもいない。
吉田拓郎が「LOVE LOVE あいしてる」に出演していたところでさえ、リアルタイムで観ていない。
ボクはそんな“にわか”フォークファンなので、「フォークが好き」と思っても、必ずその場に自分より好きで詳しい人がいると思うと「フォークが好き」と言い出せないのだ。
だからシコシコと人目のつかないところでアコギの練習をしたり、中古ショップでCDや音楽雑誌を明後日は独りで悦に浸っている。
だがこの楽しみ方には大きなウィークポイントがある。
それは自分の手が届く範囲でしか、知識と技術が得られないのだ。
そしてなにより、寂しい。
バカみたいに1日に何度も聴く曲もあるけど、やっぱり聞いたことが無い曲を聴いて「これもイイネー」なんて思いたい。
コードだってサスなんとか、アドなんとか…も覚えたり、オシャレなリフをスルスル女の子の前で披露したい。
それには「ボクはフォークが好きな人間です」と声に出して、ボクより知っている人に目をつけられるしかないのだ。
もちろん「”にわか”なんかが軽々しく語るな」と思われたくない気持ちもある。
でもコレってボク自身が、いわゆる“にわか”の人に思ってしまっていることの裏返しだってこともある。
”にわか”として、”にわか”にやさしく。
好きなものは、好きになったら言う。
だってそうじゃない。
10年前、20年前の青春を思い出せば「あのとき、あの娘に告白しておけばなぁ」。
片思いしていた山本先輩。
その先輩に「好き」と伝えたら、「お前なんかが私へ好意を向けてもムダ」と断罪されていたかもしれない。
でも、あのとき断罪してもらえたら、今どれほど生きやすかったのだろう。
その青春が今だとしたら、どれだけ幸せなことだろう。
ボクは吉田拓郎が好きだ。
フォークギターもロクに弾けないし、有名どころの曲しか知らない。
それでも「イメージの詩」に励まされ、「流星」に涙を流し、いつまでも永遠の嘘をついて欲しいと思っている。
学生時代に山本先輩へ好きと言えたら、今ボクはどんな人間になっているのだろう。
好きな物を好きと言う
その先に、なにかヒントを求めて生きたい。
ボクは吉田拓郎が好きです。
(おしまい)
===追伸===
たまにラジオも配信しています。
作業のおともに、どうぞよろしくでございます!
↓Azさんが本を出しました↓
↓質問・意見・メッセージはコチラから↓
(文責:乳豚)





